インタビュアー
インタビュアーは、森のようちえんチームの「ユミ」「ほんはる」です!
インタビューはZOOMを用いて行いました。
ボランティアの役割とは
☆ezorockの森のようちえんのボランティアについて
ezorockでは道内のさまざまな森のようちえんに関わる活動に、カウンセラーという役割として参加しています。カウンセラーとは、簡単にいうと一緒に遊ぶお兄さんお姉さん役です。具体的な役割としては子どもの安全を見守ることと、子どもの想像、発見、挑戦してみる気持ちを引き出すために子どもに寄り添って共に活動することです。
ユミ:学生ボランティアがいるときといないときで子どもたちの様子は変わりますか?
キング:学生であるかどうかは別として、僕は変わると思っている。ボランティアの人達には、立場とか関係なくフラットに「今日はカウンセラーです。子どもたちと一緒に遊ぶことが役割ですよ」と声をかけている。その役割を本気でやってくれる人、例えば、遊びながら子どもが何をやってもいい状況を作ってくれる人や、子どもの考えではできないような遊びをする人が来たらすごく意味があると思う。僕はボランティアにはそういった人を求めている。
ユミ:ボランティアがいることで違う視点があるみたいなことですか?
キング:そう。そして例えば、自分がやんちゃをしたい場面で、自分が怪我をするとこのプログラムがすべて台無しになる。でも極端にいうと、ボランティアがやんちゃするのは多少大丈夫でしょうみたいなね。
ユミ:なるほど。つまり、ボランティアがいることで子どもたちがいろんな視点を持つことができるということですね。
〈活動でこだわっていること〉
ユミ:キングさんが活動でこだわっていることはなんですか?
キング:いろいろ考えたけど、そこにどれだけいろんな人がフラットに参加できるか、みたいなことは考えるかな。心理的・身体的・様々な理由で、そこに参加しやすい人もしにくい人もいると思うから、「参加者↔運営者」・「大人↔子ども」を二元的に考えるのではなくて、その関係性をどれだけフラットにできるかみたいなのは最近考えてるかな。
ユミ:それは普段どのように意識しているんですか。
キング:フラットにしたいと言いながら、割と子どもに対して厳しめ。フラットにしたいというと、「子どもの目線に立って」という考えになってしまうけど、そういう意味ではないんだ。僕が「○○したい?」と子どもに問いかけると子どもは親に「○○していい?」と聞く。それに対して僕は「いやいや別に君がやりたいならすればいいよ」という対等性を築きたい。この対等性が築けない子に対しては、「じゃあ、これ一緒にやろうね」あるいは「いや、お前の力があればできるだろ!」というフラットさを生みたい。そういうコミュニケーションを割ととるようにしている。なんか、いじわるっぽいけど。
ユミ:「君が主体だよね」というのはとても大切なことだと思います。
キング:このとき「私が、僕が」ではなく、「僕ら」はどうするのかが大切。君一人で遊んでいるわけではないから、主語を「私たち」へどうもっていくか、という意味でのフラットもある。だからこれを大人、子ども、みんなに求める。
ユミ:キングさんは子どもたちやボランティアが主体的に行動するというフラットさと、一人ではなく「私たち」がどうしていきたいのかというフラットさの2種類を意識しているんですね。
キング:里山という空間では、大人・子ども無関係に人間と意思疎通して、馬とも森とも会話して、君たちに丁寧にかまっている時間はないんだよという気持ち。こうして、里山がどれだけ複雑な環境なのか気づいてはじめて、SDGsや環境問題にいきつく。そうでないと、こういったテーマはあまりにも日常から遠すぎる。
▶️振り返り
キングさんの「フラット」という言葉が強く印象に残っています。よそ者とか、内輪とか関係なく時間を共有することで、誰にとっても、他のなにものにも代えられない時間になるのだと感じています。(ほんはる)
運営について
<学生時代と今の気持ちの変化>
ユミ:学生時代と今の気持ちの変化はありますか。
キング:基本的にはない。
学生の時はボランティアや支援のときに「学生なのに偉いね」と言われがちで、自分がいいことをしているという正義を振りかざして満足していた。そのことに気づいたころから、僕はこれを本当に仕事としてやりたいのか、その先に何があるのかを考えて、じゃあこれを仕事としてやってみようと思った。
運営の裏側が日常になり、自分の中で関わるスタンスをどう変えられるか、という立場になった。初めてボランティアに行ったとき、馬を飼い始めたとき…その現場には僕しかいないから僕が判断をしなきゃいけない。
自分で考えてその答えを出すスピードは速くなっている気がする。でも、大切なのは遅いから悪いとか、早いからいいとかではなく、そこに頭を悩ませる時間だと思う。
ユミ:頭を悩ませるというと?
キング:例えば、「やりたいけど、ほんとにそれでいいのかな〜」と考える。悩んでいる間に、いろんな環境要因がどんどん重なってくるから、その判断を早くしていかなきゃいけない。判断材料が増えていくほど取捨選択をしなければいけないけれど、その情報が少ないときはそれなりのスピードでいい。判断しよう・決断しようと思わない時期も必要なんじゃないかな。で、その結果、今のほうが楽しい。子どもと一緒でやりたいことをやれたら楽しいし、やれなかったらつまんない。
▶️振り返り
自分自身が「学生なのに」「ボランティアなんで」という言葉で無意識に枠組みを作っていたと気がつくことができました。そういった枠組みから一歩外に出るだけで、自分が主体的に動きやすくなること、そして多様な価値が生まれると感じることができました。(ココ)
<運営を楽しむ・出会い>
ユミ:いろんな視点がある運営側に立ちながら楽しんでいるのはすごいなと感じました。
キング:でも、そこを楽しまなきゃこんなことをしている意味はないんじゃないかな。
例えば、安平で牧草を売ってくれているおばあちゃんのところに牧草を買いに行ったら、「せっかく来てるんだから」って、おばあちゃんが茹でたとうきびを「食べてくれ」ってご馳走してくれたことがある。お金を払って配送してくれる牧草業者もある。でも、それでは絶対に生まれない、自分の体と時間をつかって、「いつもありがとうございます」ってやってるから生まれたコミュニケーションなんじゃないかなと思っている。
いかに自分で動いていろんな人に会えるかは、数を打たないと。
しかも、こういうことをしたいとか、こんな人に会いたいとか言って行動すればびっくりするくらいだいたい叶う。
ユミ:キングさんは何がやりたいって思ったんですか?
キング:大学3年くらいの時、「自然学校」という言葉を知ったばかりだったけど、僕の出身地周辺には自然学校がなかったので「オホーツク・網走に自然学校を作りたい」って言っていた。そのためにまず、「自然学校を知らなきゃいけない。」って言っていたら、「地域おこし協力隊で自然学校の仕事あるけど、やるか。」って言われて。「やります」って言ってやっていたら、次は「滝上町で羊をかって一緒に地域で面白いことやらないか」って進められて…「オホーツクに自然学校を作りたい」と言って、そういったことをやっていたら、「オホーツクでここの土地があるよ」とかめっちゃ話がきて…導いてくれる大人はいくらでもいる。そういう人は必ず「やりたいなら応援する。やらされているなら応援しない」と言う。
結局どれだけ楽しいことをやっていても、やらされている状態だと、どんなに楽しくても楽しくなくなってくる。自分は何のためにやってるんだ、とか。それが、自分がやりたいからできてるのか、やらされててもうやりたくなくなってきたな〜なのかでは、全然違うから。
ユミ:それこそ、自分が主体で行動するということですよね。
▶️振り返り
どんどん新しいことに取り組むキングさん、いぶり自然学校だからこそ「活動に参加したいな~」「イコロの森に行きたいな~」と思います。ボランティアからそのまま仕事にしちゃおう!という行動力も見習っていきたいところで、沢山の刺激を貰うことができています。(リオ)
<キングさんから一言>
キング:最後に一言。もっと多層性を持って考えてほしい。子どものためだったら子どもをチョイス。森づくりだったら森がファーストチョイス。
これからの時代は誰かのためではなく、ソーシャルグッドが重視されるから、そこにいる人のニーズはどこにあるか、もっと広い視点で物事を見ていいと思う。
みんなが色んなところに行って色んな人と関わりに行くのもそうだけど、そういった関わりから多層性が生まれる。
自分のやりたいことを言っていたら自然とその活動が生まれている。社会教育はめっちゃいい。自分のやりたい隠れているニーズを言うと、見えるニーズで、ある活動と繋げてくれる。
結局はそこの見えないゾーンをいかに広げていくか。話を聞くだけではわからないから、現場に行くことは大切。
【編集後記】
記事の作成には、インタビューから関わった人、記事作成の途中から関わり始めた人など様々でしたが、チームとして初の試みを無事に完成させることができてよかったです。
チーム内でもインタビューでのお話を一つの形にまとめるため、何度も話し合いを繰り返しました。なかでも後半記事の「活動でこだわっていること」の項目の「里山という空間では…」のお話について、チーム内でもとらえ方に違いがありました。そのため、あえてキングさんの言葉をそのまま残し、みなさんにもこの言葉の意味について考えてほしいと思っています。
初めてこのインタビューでの話を聴いた時は、とても深くて重要なことだけど、自分の日常とは少し離れた生活の話であると思っていました。しかしながら、読み込めば読み込むほど、自分の身近な人・地域との関わりにも直結する内容であることに気づきました。「主体」「フラット」「居場所」などの言葉が印象的であり、世代に関係なく日常で意識していきたいものであると感じました。森のようちえんは大人も子どもも、人間も動物も関係なく、行くたびに新しいことを教えてくれます。
森のようちえん・自然学校の運営側の想いを聴く機会は今まであまりなかったため、とても貴重な機会となりました。インタビューにご協力くださったキングさん、ありがとうございました。