インタビュアー

インタビュアーは、森のようちえんチームの「ユミ」「ほんはる」です!
インタビューはZOOMを用いて行いました。

森のようちえんとは

☆そもそも森のようちえんとは
・自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称
・森だけではなく、海・川・里山など広義に捉えた自然体験活動
・地域とのつながりを持つ。自律性、協調性を引き出す。

⇨幼稚園だけでなく、保育園や子育てサークルなど、学校教育や社会教育などの他分野が混ざり合った、未就学児を対象とした自然体験活動の場。

 

ユミ:キングさんにとっての森のようちえんはどんなところですか?

キング:自分が感じる森のようちえんの魅力は森のようちえんが日常的にあって、暮らしに根付いているところ。

ユミ:具体的にはどういったところですか?

キング:森のようちえんって、ざっくりいうと自然の中で学んだりすることの総称で言われている。でも、もしそれがすごい大きな山に登ったりとか、川下りをするみたいな自然体験だったら自分はそれほど価値を見出していないんだよね。そうではなく、暮らしの中で日常的に子どもたちが森に行って、そこで森の仕事をしている人がいる。そういった環境に自分は教育の場があると思っていて、価値を置いている。自分が住んでいる町がどういう町で、どんな産業があるのかとかを感じることが、地域の中で育っていることや教育に繋がっていくと思う。だから、教育の場であれば森のようちえんではなくて海のようちえんでもどんな形でもいいと思ってるんだよね。
北海道には地域の繋がりが深く、自然に近い職業とか暮らしがある。だから、ようちえんや学校で考えられたカリキュラムに沿って勉強をするのも大事だけど、そうではない地域の中にある教育もあってもいいんじゃないかな。自分の中の幼少期の体験と大学生の時の教育に対する違和感を体現、具体化されたのが、自分にとっては森のようちえんだった。

ユミ:地域、暮らしに根付いた仕事に価値を感じているとお話しされていましたが、どういう価値を感じましたか?

キング:例えば、農業体験をしましょう、農業の勉強をしましょう、っていうときに、大人たちが準備した畑に行くことってあると思うんだよね。だけど、子どもたちが用意された畑に行って芋を掘ることには本当に価値があるのだろうかって自分は思う。全てを用意された環境で子どもがどれだけ自分の脳みそを働かせているんだろうって。そうではなくて、例えば、自分の身近な存在として近所に芋を掘っているおじさんがいて、「ああ、今日もあのおじさんが芋掘りをしているなぁ」と思いながら、隣で泥遊びをしてる。そうしたら、「ここは楽しい場所」ってなるし、大人になったときに「確か隣のおじさん芋を掘って頑張ってる」とか、大学生の夏休みに「あのおじさんは70歳で大変そうだから手伝ってあげよう」とか思うようになるじゃん。こういう環境に価値を感じるし、これが俺の中の理想の森のようちえん。

ユミ:子ども達がワクワクしたり、何かを考えるきっかけに価値があるっていうことですね。

馬とのコミュニケーション

ユミ:いぶり自然学校は馬がいるのが特徴的ですよね。馬の話が聞きたいです!または馬が来て変わったことがあれば聞きたいです!

キング:馬っていうのはめちゃくちゃ面倒くさい動物で、個人の認識をしないんだよね。僕が365日毎日お世話をして、366日目に僕がいなくても全く不安にならずに、違う人の言うことを聞いて違う人と一緒に何かすることができる。毎日その瞬間瞬間で更新されて、みんなが優しくしていれば「ここはいい場所だ」ってなるし、みんな馬に興味なくて馬が通ろうとしている道を子どもがギャーって走ってたり、後ろで棒っこを振り回したりしたらそこは怖い場所になってしまう。
コミュニティとしての関係性は築けるけど、ぴったりとした関係性っていうのはその瞬間でしか築けなくて。ということを前提において、コミュニケーションが苦手そうな子に馬の世話をお願いして、「馬はすごく繊細な存在だからとりあえず優しくしてあげて」と言うとその場全体が優しい雰囲気になって、丁寧なコミュニケーションをお互いが取れるようになる。馬がそうだから仕方ないって感じでそこら辺にいる子どもやボランティアもとりあえず馬にブラッシングして、丁寧なコミュニケーションを取り始める。
馬といることによって役割を得て、その周りにいる人たちも馬がそうだから仕方ないよねって理解してくれる。だからどうか馬がいたら撫でてあげて、馬と丁寧なコミュニケーションを取ってくださいって言ったことでおそらく大人も子どもも含めて場の雰囲気が変わった。

ユミ:なるほど!馬がやってきてから、子どもたちに変化はありましたか?

キング:めっちゃある。意図的に子どもたちが馬に関わる前って、基本的に森の中で自由に遊ぼうの一択だった。薪割りとか力仕事とか、結構部活っぽくなっていったんだよね。そうすると、体力とかがあまりない子は居場所だったり自信だったりをなくしちゃって、自分がその放課後スクールに行く意味を見出せなくなっちゃったことがあって。そこで、「馬の仕事をするか」となった。馬は力の勝負ではなくて、いかに共存出来るかで、その子はコミュニケーションが素晴らしくて、彼の森での居場所を見つけた感じだったね。

ユミ:それぞれの好きや得意を見つけられる瞬間ですね。

キング:そうそう。それを一つの方法で判断するのではなくて、その子がやりたいことだったり、やりたい方法でできたらみんなの居場所になっていける気がする。

ユミ 森のようちえんのボランティアで馬を引いたことがありました。その時は、不安な気持ちでいっぱいだったので、もしかしたら馬も不安になっていたのかもしれませんね。私もあまりコミュニケーションが得意な方ではないので馬と関わって安心した記憶があります(笑)

子どもたちの居場所

ほんはる:キングさんにとって子どもたちに居場所があるとはどういうことだと思いますか?

キング:何か理由があると自分の居場所になる。やりたいことは子どもの自然体験だけど、ここの人たちとの雰囲気は合わないな、とかそういう心理的安全が下がらないとどうしても自分のやりたい欲求とかは次に行けないと思う。子どもたちにも学校と家庭以外にも自己実現とか自分の居場所として成立しながら遊べる場所、競争のない場所を作りたいと思って。僕の思う居場所はそんな感じ。それがあってこそ、その子たちの本来やりたいことが生まれてきたりするんじゃないかな。

ユミ:「居場所ですよ」って言って子どもたちが「わ~居場所だ~」ってなる訳じゃなくて、そこに参加した子どもたちが「あっ自分の役割あるんだな」「これ楽しいな」っていうことから居場所になるみたいな感じですね。

▶️振り返り
活動に参加した際、ナナ(馬)の周りに優しくお世話をする子どもたちが自然と集まっていました。馬の世話を居場所にしている子もいれば、虫取りや、枝を使った工作など自分の居場所をそれぞれが見つけているように感じました。森は多様で、遊び方も自由だからこそそういった姿を見ることができたのだと思います。(リオ)

 

※本記事は、休眠預金を活用した『北海道未来社会システム創造事業』を活用し作成しています。
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