東日本大震災とふくしまキッズ
タケシ:まず、ボラ旅の事業を展開していく初期段階の話をななこからしてもらおうと思うんだけど、初期の頃はどんな感じだったのかな?
ななこ:私は本州の大学に行っていて、国際協力の勉強をしていたけど、自分の地元の足元にある問題に関われなかったら意味がないなって思ってた。北海道の都市部・農村部の問題とか、一極集中の問題とか若者の問題とかに取り組めたらいいなと思って北海道に戻りました。都市部の若者が時間がある時に、農村部に行って地域の人と何かに取り組む中で、お互いが何かちょっと変わっていければいいなという事業をやりたくて、企画書を書いてた。
タケシ:それは2011年の震災前くらいだよね?
ななこ:そうそう。そんな企画書を大学生の時に書いてたら、震災が起こって、札幌から道内にだけボランティアを送っている場合じゃないぞと。先輩がいる(岩手県)釜石市とか、ふくしまキッズ(※1)で福島の子どもたちが何百人も北海道に来るプログラムに関わるようになっていった。
タケシ:人を集めて被災地に行ったり、福島の子どもたちと遊ぶような場にボランティアに行く機会をたくさん作ってきたところから、「ボラ旅」って言葉ができたのが2011年の冬くらいだよね。
ななこ:地域のお母さんたちは、24時間子どもの側で面倒をみ続けることは時間的に難しい。子どもと思いっきり遊んでくれる若者が来てくれてすごく助かってるって言われて、必要なんだなって。地域で若者が必要な場面っていうのはたくさんあるんだなって認識できたので、ふくしまキッズが終わっても、そういった地域と関わっていくことができるんじゃないかなと思って、その年の冬から「ボラ旅」が始まった。
活動に参加した若者の変化
タケシ:(ふくしまキッズでは)毎回ボランティアを集めて研修して、現場へ送ってというのが5年間ずっと続くわけですね。参加した若者の声を聞いて印象的だったことがいろいろあると思うんだけど、象徴的とか、印象的なものがあったら教えてください。
ななこ:印象的だったのは学生時代に活動して、その後地域に就職していったメンバーたち。そのうちの1人は小中高大ずっと野球に打ち込んでたんだけど、「こういう仕事もあるんだ」って活動にどっぷりハマって、そのまま地域に就職していった。最初の2年間くらいは本当に大人しくて、プログラムディレクターとかコアスタッフ(※2)をやろうとは全くしなかったんだけど、最終的には、プログラムの中心をまわす側に立っていた。
タケシ:やっていく中で参加した人たちの変化があって。そこで仕事として入っていきたいなって層が出てきたのが、僕とななこの中では大きな発見だったよね。
ボラ旅の方向性と引継ぎ
タケシ:プロジェクト的に2017、2018年でそろそろ限界かなと思ったとこがあるんだけど。
ななこ:今思うと、活動地域数や回数を増やすことに追われすぎたかもしれない。活動地域に深く関わってどういうことができるかっていうところまで至らなかった。そこで限界を感じてた。
タケシ:実は、2018年にボラ旅を無くそうとしてたんだよね。やることはやっただろうと。一旦終わらせようとしてた時に、たにと話してたら「実は私、ボラ旅やりたいんです」っていう風になったんだよね。たには何でボラ旅に興味を持ったの?
たに:元々自然が好きで、野生動物のことを勉強するために酪農学園大学に入ったんだけど、自分だけが環境に詳しくなってもしょうがないって思うようになって、人との共生みたいなことを学びたくて。就職とかしっかり考えた時に環境とかより、地域とそこで暮らす人が大切なんじゃないかと思って、そこにあったのがボラ旅でした。
179リレーションズへの転換
タケシ:ボラ旅から、関係人口創出プロジェクト「179リレーションズ」に変わっていくことになるんですけど、変化していく経緯について簡単に説明した方がいいと思うんですよね。
たに:2018年に北海道胆振東部地震があって、発災2日後に、タケシとななこと3人で、厚真町と安平町に行って。その後、支援活動で厚真に通っているときに、ふくしまキッズで活動していたメンバーとかそれまでボラ旅に参加していたOBの人とかがすごい来てくれて。普段の活動が災害とかいざという時に力になるんだってわかって、「いつものつながりが、いざという時の力に」って言葉が出てきた。その年のGREENDAY(※3)で、三陸ひとつなぎ自然学校(※4)の伊藤さんがゲストに来てくれたんですけど、「関係人口」という言葉の発祥には「ボランティアを(北海道から釜石に)送っていたezorockも関連してるよ」って教えてくれて(※5)。ボラ旅とふくしまキッズ、釜石、災害、関係人口とか、そういう言葉が混ざっていった。そこから構想を練って、2020年度にリレーションズ発足という流れですね。
タケシ:ボラ旅とリレーションズの大きな違いってどこにあると思う?
たに:2つあって、1つはリレーションズに名前を変える理由でもあるんだけど、ボラ旅の時は参加者である「都市部の若者」と地域側を「受入先」って呼んでいた。2018年、2019年くらいにタケシの繋がりもあって、いろんな地域に行った。そしたら、地域にも若者団体とか地域づくりをしている若者がいて、今まで通り「受入先」と言うには違和感があるというか、地域の力になるボランティアとして活動に行くにはちょっと違和感がでてきたところで。全道に繋がりを作ろうとか、一緒にやろうみたいな感じになってきている。そんな関係性の違いがひとつあると思います。もう1つは、仕組みを作るところを皆と一緒にやりたいなぁと思って(※6)。ボランティアチームを作ってみたりとか、WEBサイトの運営を一緒にやろうとしているところがボラ旅の時とは違うかなって思う。
タケシ:たにの感触ではこういう違いだけど、ななこはどう思う?
ななこ:ボラ旅からリレーションズへ変わって、広がったというか進化したというか、多様化した印象があって。ボラ旅の時は自然体験とかの”テーマ”で関わっていたけど、リレーションズは、そこに住んでいて、地域づくり、まちづくりをしている人たちと関わりが深まっていったんだなって。あともう1つがメディア。その地域に行かなくても情報発信だとか、届けられるものがあるっていうのが大きな違いだなって思う。
おまけ~引継ぎは資料で!?~
タケシ:2018年3月からななこからたにへ引き継がれていく流れになるんですけど、引き継ぎってどうだったの?
たに:1回タケシとななこにボラ旅の説明はしてもらって、それとななこが書いてくれた紙が2、3枚。あと何かありましたっけ?(笑)
ななこ:引継ぎのこと全然覚えてない。
たに:ななこが使ってた机を私が引き継いで使ってたから、そこから紙とか資料とかいっぱい引っ張り出してきて、それを見てやる感じだった。だからななこから引き継ぎっていうより、ななこが残してくれた資料を介してって感じ。
ななこ:はははっ笑。確かに。
※1 ふくしまキッズ:震災以後の放射線の影響によるストレスを少しでも解消することと、子どもたちの学びと育ちを支援する教育事業を実施することで、多様な体験や人とのコミュニケーションを作り出すことを目的とした活動。
※2 コアスタッフ:ezorockで活動する中心メンバーのこと。
※3 GREENDAY:北海道や世界を舞台に活動する方々をゲストに、さまざまなテーマの講演会やディスカッションを行うイベント。
※4 三陸ひとつなぎ自然学校:岩手県釜石市にある東日本大震災をきっかけに設立された一般社団法人。釜石のひと・暮らしなど、地域資源にスポットを当てた体験プログラム、イベントの実施や研修等のコーディネートなどを行っている。
※5:「関係人口」という言葉は、釜石市の総合戦略中にある「つながり人口」という言葉が基のひとつとされている。
※6:ボラ旅にはコアスタッフがおらず、参加者は当日ボランティアとしての参加であったため、活動を一から作るところにボランティアは関わっていなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。第2章は「ボランティアや職員としてNPOで活動すること」について、さらにななこの思いを深掘りします。次回もお楽しみに!
中編はこちらから⇒ http://179relations.net/action/73